下村亀三郎(読み)シモムラ カメサブロウ

20世紀日本人名事典 「下村亀三郎」の解説

下村 亀三郎
シモムラ カメサブロウ

明治期の製糸家 長野県議。



生年
慶応3年(1867年)

没年
大正1(1912)年12月5日

出生地
信濃国小県郡上丸子村(長野県丸子町)

学歴〔年〕
慶応義塾

経歴
明治22年故郷の長野県丸子村に製糸会社・依田社を創立し社長就任製糸業の共同化に努め、32年小県製糸組合を組織し組合長となる。38年長野県より選ばれて米国セントルイス大博覧会の視察に赴き、ついで米国の生糸市場・機業地を巡覧して帰国。のち製糸および生糸取引法の改良を図り、43年には米国へ輸出するまでに発展させた。また依田社の共同事業として銀行・病院・工女養成所・倉庫・瓦斯事業・繭糸工場・生糸取引所などを設置し、各社の重役兼任、好成績を挙げた。一方、この間に小県郡議、長野県議を歴任し、44年丸子村長となり、翌45年町制施行により丸子町初代町長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「下村亀三郎」の解説

下村亀三郎 しもむら-かめさぶろう

1868-1912 明治時代実業家
明治元年生まれ。22年故郷の長野県丸子村に製糸会社依田社を創立し,社長。アメリカの生糸市場,機業地を視察し,製糸および生糸取引法の改良をはかった。丸子町初代町長などをつとめた。大正元年12月5日死去。45歳。慶応義塾中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android