日本歴史地名大系 「下条中割村」の解説 下条中割村しもじようなかのわりむら 山梨県:韮崎市下条中割村[現在地名]韮崎市大草町下条中割(おおくさまちしもじようなかわり)下条西割(しもじようにしのわり)村の東に位置し、町屋(まちや)・丸林(まるばやし)の二集落からなる。慶長古高帳では高一九七石余、幕府領。ほかに当地の神明(現神明神社)領二石余。寛文四年(一六六四)の検地帳(県立図書館蔵)によると高二四三石余、反別は麦田一町三反余・上田一町六反余・中田二町四反余・下田二町二反余・下々田八反余、上畑一町三反余・中畑四町三反余・下畑二町一反余・下々畑三町六反余、屋敷一町八反余。享保九年(一七二四)甲府藩主柳沢吉里の転封により幕府領となり、同領で幕末に至った。支配代官は初め甲府代官、のち市川代官、さらに石和・市川の各代官と替わったと考えられる(安政六年「徳島堰御普請仕法願上控」秋山家所蔵清水清久家保管文書、甲州代官付など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by