下条大津村(読み)げじようおおつむら

日本歴史地名大系 「下条大津村」の解説

下条大津村
げじようおおつむら

[現在地名]泉大津市若宮わかみや町・神明しんめい町・ほん町・東港ひがしみなと町・小松こまつ町・春日かすが町・田中たなか町・菅原すがはら町・東雲しののめ町・あさひ町・昭和しようわ町・えびす町・下条げじよう町・下条

紀州街道に沿い、宇多大津うだおおつ村の北に隣接。村名の下条は条里制の遺称という。中世に山城西芳寺領下条郷が成立。暦応四年(一三四一)八月七日付の摂津親秀譲状(美吉文書)によると、室町幕府評定衆摂津親秀が惣領能直に譲与した分に和泉下条郷があり、これはすぐに山城西芳寺領となり、能直がその檀那となって興行を沙汰することとなった。文明一五年(一四八三)七月日付の和泉国衙分目録(八代恒治氏旧蔵文書)に国衙領として下条郷がみえ、また「蔭涼軒日録」長享二年(一四八八)七月五日条にひく同二日付の西芳寺領所々目録に、同寺領として「和泉国下条郷地頭職」が列記される。下条郷は当村東部の池浦いけうら豊中とよなかなどを中心とした、かつて我孫子あびこと称された地の一部であったと推定され、明応六年(一四九七)一二月二三日付の預覚仙寄進地添状(興山寺文書)に「我孫子之郷下条」、年欠一二月一五日付の細川元有去渡状(同文書)に「我孫子下条長泉」とみえ、高野山奥院灯油田があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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