千葉県北西部にある市。利根(とね)川と手賀(てが)沼に挟まれる。1955年(昭和30)我孫子町と布佐(ふさ)町、湖北(こほく)村が合併、1970年市制施行。地名は古代の領主我孫公(きみ)に起源をもつとか、「網引く」漁村に由来するなどといわれる。JRは複々線化された常磐(じょうばん)線と成田線との分岐点であり、東京地下鉄千代田線が乗り入れ、国道6号と356号が通っている。市内には100基に上る古墳群があり、古い歴史を有する。江戸時代には、幕府の直轄地となった。中心集落は水戸街道の宿場町として発達したところで、北部の青山には利根川の渡船場があった。また利根川の流路を銚子(ちょうし)へ変更する工事が行われて新田開発が進み、布佐は河港としてにぎわった。明治以後は、水運が衰え、平地での米と丘陵上での野菜生産が産業の中心をなした。しかし、近年では住宅団地や、工業団地、ゴルフ場などが進出し、都市化が著しい。大正初期から昭和初期にかけて、志賀直哉(しがなおや)、武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)らが居住し、その旧跡も多い。手賀沼は水質汚濁が問題化しているが、県立印旛(いんば)手賀自然公園として多くの釣り人や、レクリエーション客にも利用されており、その環境保全が図られつつある。面積43.15平方キロメートル、人口13万0510(2020)。
[山村順次]
千葉県北西部,利根川と手賀沼にはさまれた両総台地の北端にある住宅都市。1970年市制。人口13万4017(2010)。近世,利根川の河港であった東端の布佐は銚子から生魚を運んで開く魚市場でもあった。また同じく河港であった我孫子は水戸街道の宿場町として栄えた。明治末に国鉄常磐線と成田線が開通して,河港は衰えた。市域は野菜や花を栽培する近郊農業地であり,東京へ野菜の行商にでる農家の主婦が多かった。近年はJR常磐線や地下鉄千代田線で東京への便がよくなり,台地上の住宅地造成がさかんで,人口が急増している。台地に子の神山古墳群(60基)があり,湖北駅近くに将門の石井戸や将門神社など平将門に関する史跡が多い。明治~昭和初期には南に手賀沼を望むこの地を愛して,志賀直哉,武者小路実篤,杉村楚人冠らが移り住んだ。
執筆者:菊地 利夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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