泉大津市(読み)イズミオオツシ

デジタル大辞泉 「泉大津市」の意味・読み・例文・類語

いずみおおつ‐し〔いづみおほつ‐〕【泉大津市】

泉大津

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「泉大津市」の解説

泉大津市
いずみおおつし

面積:一一・五三平方キロ

大阪府の南部、大阪市中央部から南へ約二〇キロの地に位置。北は高石たかいし市、東は和泉市、南は大津川を隔てて泉北郡忠岡ただおか町に接し、西は大阪湾に面する。南海電鉄本線が市の西部を通り、市域北助松きたすけまつまつはま・泉大津の三駅があり、約二〇分で大阪市内と結ぶ。大阪―和歌山間の道路として、市域東部を通る第二阪和国道の建設が進み、国道二六号となった。そのため西部を通っていた旧国道二六号は府道堺―阪南線となる。そのほか東行する道路として、和泉市池田いけだ谷を通って河内長野市および和泉山脈越で和歌山県那賀なが粉河こかわ方面に出る道がある。市名は古代以来の港津である大津にちなみ、国名を冠して泉大津とした。

〔原始・古代〕

市域は南東の丘陵から海浜に向かって緩やかに傾斜する平地に立地。多くの小河川が流れ、国名が示すように地下水も豊富なため早くから開発が進んだと思われる。堺の四ッ池よついけ遺跡を中心として始まった泉州稲作農業が、まもなく当地にも伝えられた。弥生前期・中期から古墳時代にかけての集落遺跡として池浦いけうら遺跡があり、また曾根そね町から和泉市池上いけがみ町にわたる広い地域に、弥生前期から後期にかけての和泉最大級の集落遺跡である池上曾根遺跡がある。弥生中期頃に家屋や収穫物を外敵から守るため集落を溝で囲み、村の規模の拡大とともにさらに外側に溝を掘り、周りに方形周溝墓を営んでいたことなど、村落形成を知るうえで重要な遺跡である。そのほかにもしちつぼ遺跡・豊中とよなか遺跡など、弥生後期から中世にかけての集落跡や、奈良時代頃まで流れていたとみられる河川跡が確認されている。古代の市域には我孫公・曾禰連・物部二田造らが居住していたとみられる。大津は和泉国衙(現和泉市)に往来する官人たちの船の発着場となった。土佐から帰京の途中、船で和泉の灘を通過した紀貫之は、「をづのとまり」を通過している。また菅原孝標の女は和泉守として赴任していた兄を訪問、帰京に際し暴風雨に遭い、大津浦で数日の滞在を余儀なくされるなど、大津は国庁への玄関口として発展した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「泉大津市」の意味・わかりやすい解説

泉大津〔市〕
いずみおおつ

大阪府南西部,大阪湾に臨む市。1942年大津町が名称変更して市制。中心市街地の大津は,古代には和泉市府中にあった和泉国国府の外港として発達。紀州街道の宿場町。近世は縞木綿の産地として知られたが,明治以降は綿工業から毛織物工業地として発展。毛布,セーター,服地などの特産地となり,特に毛布の生産高は全国一。第2次世界大戦後はゴム,金属,機械工業などが,さらに鉄鋼,機械,運輸,倉庫,石油セメント,薬品工業などが進出,泉北臨海工業地域を形成。泉大津港は国際拠点港湾,堺泉北港として拡張,整備された。農村部は観賞用のシュロチクカンノンチクの栽培で有名。国指定史跡の池上曽根遺跡,国指定重要文化財の摂社春日神社,本殿,木造天忍穂耳命坐像をもつ泉穴師神社などがある。面積 14.33km2。人口 7万4412(2020)。

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