下条(読み)しもじよう

日本歴史地名大系 「下条」の解説

下条
しもじよう

あら川を挟んだ現東下条町・西下条町を遺称地とする。文安二年(一四四五)一一月一五日の武田信重寺領目録写(甲斐史料集成稿)に「胡摩郡下条番匠在家」とみえ、大下条殿(下条武春)後室花窓香公大姉菩提のために寄進された年貢五貫文の地が向嶽こうがく(現塩山市)に安堵されている。翌三年八月三日には証文を紛失したとして再度下条信久の判を据えた証文が向嶽寺の請により出された(下条信久証文写「向嶽寺什書目録」向嶽寺文書)


下条
しもじよう

現中下条・大下条おおしもじよう一帯に比定される。「一蓮寺過去帳」によると、永享一一年(一四三九)頃の一一月二日、下条禰宜の供養が行われている。武田信重が文安二年(一四四五)一一月一五日に出した向嶽こうがく(現塩山市)の寺領目録のなかに下条番匠在家年貢五貫文とあり(「武田信重寺領目録写」甲斐史料集成稿)、永禄一一年(一五六八)六月二八日の武田家印判状写(甲州古文書)でも中下条に番匠が住んでいたことが知られる。当地領主として下条氏があり、文安三年八月三日の下条信久証文写(向嶽寺文書)によれば、向嶽寺の寺領は下条武春が寄進したものであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「下条」の意味・わかりやすい解説

下条[村] (しもじょう)

長野県南部,下伊那郡の村。人口4200(2010)。伊那盆地南端,天竜川中流西岸に位置し,北は飯田市に接する。西部山地から東に向かって傾斜地が広がり,中央部を南北に国道151号線(遠州街道)が縦貫する。主産業は農業で,米作養蚕のほか,畜産や施設園芸も行われるが,近年農家の兼業化が進み,飯田市などへの通勤者が増加している。戦国時代にこの地を支配した下条氏の吉岡城跡,重要文化財の社殿を有する大山田神社,親田高原などがあり,天竜奥三河国定公園に属する。JR飯田線が通る。
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