下東村(読み)しもひがしむら

日本歴史地名大系 「下東村」の解説

下東村
しもひがしむら

[現在地名]舞鶴市字下東

建部たてべ山の西山麓、由良川右岸に立地し、由良川対岸に丸田まるた村がある。村内を宮津街道が通り、南方念仏ねんぶつ峠を経て上福井かみふくい村に至る。

慶長検地郷村帳に高四八五・五五石「下東村」とみえ、土目録でも高は変化せず、内訳は田方四二六石余、畑方五九石余、運上のなかに渋柿三斗五升があった。延享三年(一七四六)の郡中高究付覚によれば農家戸数六〇。里芋を多く産した(京都府地誌)。当村は河川波止場としても使用され、そのための藩用地もあったといわれる。

念仏峠には称名を刻した石造大供養塔が林立している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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