下板屋谷村(読み)しもいたやだにむら

日本歴史地名大系 「下板屋谷村」の解説

下板屋谷村
しもいたやだにむら

[現在地名]西米良村板谷いたや

西八重谷にしはえだに村の南、一ッ瀬川支流板谷川および板谷川支流鶴瀬谷つるせだに川の流域谷間にある。南西板屋谷村。板屋村は板谷とも書いた。当村と西八重谷・板屋谷の村を合せて板谷(板屋)村ともいった。正保三年(一六四六)の肥後国郷帳(永青文庫)では下板屋谷とみえ、高一石余、元禄一〇年(一六九七)の肥後国絵図(同文庫)でも同様である。天保五年(一八三四)の米良山郷村高帳写(相良家文書)によると高五石余、うち小物成高二石余、元禄年中の新田高一石余、延享三年(一七四六)高入れの焼畑雑穀高一石余、天保二年高入れの焼畑雑穀高五斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む