日本歴史地名大系 「下柳生村」の解説 下柳生村しもやぎゆうむら 福島県:いわき市旧四倉町地区下柳生村[現在地名]いわき市四倉町下柳生(よつくらまちしもやぎゆう)仁井田(にいだ)川上流に位置し、北は薬王寺(やくおうじ)村・上柳生村、東は水品(みずしな)村、西は駒込(こまごめ)村。磐城郡に属した。近世の領主の変遷は磐城平藩領から延享四年(一七四七)幕府領、寛延二年(一七四九)常陸笠間藩領、安永六年(一七七七)幕府領、翌七年磐城平藩預、寛政二年(一七九〇)以降笠間藩領。文禄四年(一五九五)の四郡検地高目録にやきう村とあり、高二七〇石余。慶長一三年(一六〇八)の岩城領分定納帳(内藤家文書)では柳生村で、高三八六石余。正保郷帳も柳生村とあり、田方二六五石余・畑方一〇二石余。元禄郷帳では下柳生村は高一七四石余、枝郷日陰(ひかげ)村は高一〇一石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by