下洞村(読み)しもぼらむら

日本歴史地名大系 「下洞村」の解説

下洞村
しもぼらむら

[現在地名]和良村下洞

鬼谷おんだに川左岸、真名洞まながほら谷が合流する地点から北に集落がある。西は下沢しもさわ村、北は鹿倉かくら村。正保郷帳に村名があり、郡上藩領で、田方一三〇石余・畑方一〇四石余。正保三年(一六四六)郡上藩主遠藤慶利の三男山田常紀が分知され、旗本山田(のち遠藤姓に復する)領となり、以後幕末まで続く。寛文一一年(一六七一)鹿倉新田の開発証文が、安郷野あごの新田の竹村甚三郎に出されており、その条件は新田開発後五年間は作取、六年目から高に免二ツ、一〇年目より「其所相応て見立免」で、「かくら新田ニ用分の草は下洞村ニて取可申事」とされた。貞享五年(一六八八)「下洞村山鹿倉新田所」の定米は免一ツ七分に下げられた(「下洞村之内かくら新田所下置証文」竹村文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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