日本歴史地名大系 「下海老原村」の解説 下海老原村しもえびはらむら 三重県:四日市市中部地区下海老原村[現在地名]四日市市下海老(しもえび)町・あがたが丘(おか)山之一色(やまのいつしき)村の西にあり、海蔵(かいぞう)川と竹谷(たけたに)川の間の平坦地に位置する。両川は当村の東方で合流する。「太神宮諸雑事記」元慶二年(八七八)一二月の記事に検非違使河内常重とその従者三人を殺傷した下手人として「三重郡字衣比原御厨住人等」がでる。「神鳳鈔」には「外宮衣比原御厨六石」とある。衣比原(えびはら)が上下に分れた時期は不明であるが、長禄二年(一四五八)の伊勢国智積御厨年貢帳(醍醐寺文書)では「上衣比原郷」「下衣比原」となっている。天正一二年(一五八四)頃の織田信雄分限帳によると、「ゑひハらの内」で千賀与五兵衛一三二貫文、鈴木千八郎八六貫文余、小林甚左衛門一三〇貫、賀藤六助一〇〇貫の知行地があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by