日本歴史地名大系 「下物村」の解説 下物村おろしもむら 滋賀県:草津市下物村[現在地名]草津市下物町蘆浦(あしうら)村の西に位置し、琵琶湖に臨む。北部の湖岸に突出した烏丸(からすま)崎は古くの野洲(やす)川南流が形成した三角洲。村西方に下物新田が開発された。慶長七年(一六〇二)の検地帳(下物共有文書)では高七五〇石余。翌八年上野館林藩領となった。寛永石高帳では上野前橋藩領で、以後幕末まで同じ。慶安高辻帳では田六九六石余・畑五三石余、ほか小物成一五石余。下物新田は天保八年郷帳に村名がみえ高五九石余、幕府領で幕末に至る。旧高旧領取調帳では高八七石余。寛延二年(一七四九)の村明細帳(下物共有文書)によれば田四九町六反余・畑四町五反余、家数九六・人数四九七。延宝七年(一六七九)北隣の山賀(やまが)村(現守山市)と境界相論が起こり、境(さかい)川の「中半」と定められた(同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by