下田原古新田村(読み)しもたわらこしんでんむら

日本歴史地名大系 「下田原古新田村」の解説

下田原古新田村
しもたわらこしんでんむら

[現在地名]河内町古田ふるた

下田原村の北に位置し、南北に長い平坦地をなす。慶長二年(一五九七)本田原ほんだわら村より出作りし、慶安四年(一六五一)まで本田原新田村と呼称する。承応二年(一六五三)から下田原新田村と称し、寛文元年(一六六一)には長峰ながみね新田が分村する(「年貢免状」菱沼昭作文書)。寛文期より下田原古新田村を称する。宇都宮藩領。元禄一〇年(一六九七)差出帳(五月女久五文書)では高二一六石、新田二四石、御伝馬銭一貫三八六文、夫金は城主在国のとき一分四五文、江戸参勤の年は二分四四五文、御用川御用薪流の節は長峰新田村留場へ人足を出す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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