日本歴史地名大系 「下県村」の解説
下県村
しもがたむら
村名は古代大和朝廷の直轄地県にかかわるものと考えられる。嘉暦四年(一三二九)三月の大宮御造栄之目録(諏訪大社上社文書)に「玉垣六間 野沢・桜井・下県・賀津・宇原・春日・県沢」と佐久郡内にみえる。
建武元年(一三三四)の「伴野庄内申子細所々事」(大徳寺文書)に「下県村小笠原六郎入道女子岡田後家跡、吾妻彦六抑留の田六町の事」と、下県が伴野時長の娘の一期領だったことを記録したのが初見で、その後も伴野庄内の一郷であることは、天正六年(一五七八)二月上諏訪造宮帳に「下県之郷 合弐貫三百十五文」とあることでも知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報