百科事典マイペディア 「小諸藩」の意味・わかりやすい解説
小諸藩【こもろはん】
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信濃国(長野県)佐久郡小諸城を居城とした小藩。1590年(天正18)仙石秀久5万石の入封にはじまる。秀久の城郭拡張と小諸城下町建設工事の領民酷使は一郡逃散(ちようさん)をひきおこしたが,2代忠政は民政安定につとめ,1615年(元和1)年貢を貫高制から石高制に移行した。24年(寛永1)入封した松平忠憲(5万石)は総検地により貢租制度を整え,五郎兵衛新田などの新田開発を進めた。松平氏以後譜代藩となり,青山氏・酒井氏各3万石,西尾氏2万7000石,石川氏2万石と交代,この間に地方(じかた)知行制が廃され,78年(延宝6)には酒井氏の過酷な総検地が百姓一揆をひきおこした。1702年(元禄15)以降は牧野氏1万5000石で固定して10代つづき,年貢のうち5分の1の代金納と現物納分の上州松井田,倉賀野払いが定着し,40年(元文5)には幕府領にならって定免制を採用した。9代牧野康哉(やすとし)は財政改革や育児法,養老法,郷村復興仕法,種痘などの開明的施策で知られ,若年寄として幕閣に列した。
執筆者:古川 貞雄
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信濃(しなの)国小諸城(長野県小諸市)を居城に周辺を領有した小藩。1590年(天正18)仙石秀久(せんごくひでひさ)が佐久(さく)郡一円5万石で入封したことに始まる。秀久の領民酷使は一郡逃散(ちょうさん)を引き起こしたが、2代忠政(ただまさ)は民政安定に努め、従来の貫高(かんだか)制を石高制に改めた。1622年(元和8)忠政は上田へ転封、小諸は一時甲府宰相(こうふさいしょう)徳川忠長(ただなが)に属したが、24年(寛永1)松平忠憲(ただのり)が佐久、小県(ちいさがた)両郡内5万石で入封した。総検地が施行され、著名な五郎兵衛新田など4新田が開かれている。忠憲以降小諸は譜代(ふだい)藩に定まり、1648年(慶安1)青山宗俊(むねとし)3万石、62年(寛文2)酒井忠能(ただよし)3万石、79年(延宝7)西尾忠成2万7000石、82年(天和2)石川乗政(のりまさ)・乗紀(のりただ)2万石と交代した。78年には酒井の過酷な領内総検地で一揆(いっき)が起こっている。1702年(元禄15)牧野康重(やすしげ)1万5000石入封からは牧野氏が定着し、10代在封して廃藩に至る。1871年(明治4)小諸県を経て長野県に統合。
[古川貞雄]
『『新編物語藩史 第4巻』(1976・新人物往来社)』
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