下粟生野村(読み)しもあおのむら

日本歴史地名大系 「下粟生野村」の解説

下粟生野村
しもあおのむら

[現在地名]塩山市下粟生野

上粟生野村の南にあり、南西境をおも川が南流する。南西の赤尾あかお村境から北東中萩原なかはぎわら村境へ縦断する一〇町余の青梅おうめ往還支道沿いに集落が展開し、枝郷に室屋むろや・向平の二ヵ所がある。慶長古高帳に村名がみえ、高四六二石余、幕府領。ほかに下青野しもあおのとして山王(現山王神社)領二石余が記される。寛永一〇年(一六三三)徳美藩領となって以後の変遷千野ちの村と同じ。元禄一〇年(一六九七)の徳美藩の年貢割付状(吉岡信家文書)では村高四九三石余として賦課されていたが、正徳三年(一七一三)検地では高四四三石余、反別は田一六町九反余・畑一四町七反余(うち屋敷三町二反余)になる。麦田と上田で一二町二反余を占めているように地味に恵まれていた(「検地帳」県立図書館蔵)。宝暦一〇年(一七六〇)の家数六〇(本百姓五三・水呑二・寺堂社五)・人数二二三、馬四(「村明細帳」田辺哲夫家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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