日本歴史地名大系 「赤尾村」の解説
赤尾村
あかおむら
- 埼玉県:坂戸市
- 赤尾村
赤尾村
あかおむら
- 山梨県:塩山市
- 赤尾村
宝永二年の村明細帳(保坂幸義家文書)では家数一一一(本百姓九九・水呑一二)・人数四一二、馬一六。畑作物は大根・芋・茄子・蕎麦・もろこし・夕顔などのほか換金作物として煙草があり、夏作は田畑ともに大麦・小麦であった。
赤尾村
あかおむら
赤尾村
あかおむら
道前平野の南西端に位置する。東は
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の周布郡の項に「高五百四拾石弐斗八升九合内田方三百五拾弐石四升七合 畠方百八拾八石弐斗四升弐合 赤尾村 林山有、小川有」とあり、元禄一三年(一七〇〇)の領分附伊予国村浦記にも同石高で松平隠岐守知行とある。天保郷帳でも「高五百四拾五石五斗九升七合 赤尾村」とほとんど変化がない。村名は宝永七年(一七一〇)の「周布郡大手鏡」でも同じだが、同書には明穂村とも異記される。
原始時代は周布郡山麓原始文化圏の一環であり、石包丁・石鏃・石槍などが発見されており、早くから開けたと思われる。
赤尾村
あかおむら
赤尾村
あかおむら
赤尾村
あかおむら
赤尾村
あかおむら
赤尾村
あかおむら
赤尾村
あこおむら
- 三重県:桑名市
- 赤尾村
現桑名市の南西部にあり、
赤尾村
あかおむら
赤尾村
あかおむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報