下興野村(読み)しもごうやむら

日本歴史地名大系 「下興野村」の解説

下興野村
しもごうやむら

[現在地名]新発田市下興野

佐々木ささき村の南、西飯島にしいいじま村の西に位置し、南は中目なかのめ新田(現北蒲原郡豊浦町)。村名は元禄・天保両郷帳には「品興野村」と記される。寛文四年(一六六四)新発田藩領分郷村高辻帳に「品之興野」とあり、高一二四石三斗余。元禄郷帳では二〇〇石七斗余。一時期幕府領となるが、のち新発田藩領に復する。宝暦七年(一七五七)の番水取極取替証文(新発田市史資料)によると、同年六月、用水をめぐって幕府領の北・西両飯島村や当村など五村と新発田藩領の西蓑口にしみのぐち村など二村とで争いが生じたが、水を引く順番を取決めて落着している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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