日本歴史地名大系 「下谷大工屋敷」の解説 下谷大工屋敷したやだいくやしき 東京都:台東区旧下谷区地区下谷大工屋敷[現在地名]台東区東上野(ひがしうえの)三丁目東西に通る広徳寺(こうとくじ)通(現浅草通)の南側の道路沿い、下谷稲荷社の東にあった。広徳寺通の北は下谷北稲荷(したやきたいなり)町、東は道を挟んで下谷唯念寺(したやゆいねんじ)門前、南は武家屋敷。万治元年(一六五八)に浅草新寺(あさくさしんでら)町の道・橋・下水などを普請したとき精勤した元御大工頭支配大工棟梁の善次郎と伝十郎が、同二年広徳寺前の水溜地を拝領、寛文四年(一六六四)まで七年がかりで築地、町屋とした。隣町は稲荷町と通称され、当町の南横町を藁店(わらだな)と唱えていた。町の規模は田舎間で東西五一間・南北裏行一〇間、反別一反七畝余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by