下谷大工屋敷(読み)したやだいくやしき

日本歴史地名大系 「下谷大工屋敷」の解説

下谷大工屋敷
したやだいくやしき

[現在地名]台東区東上野ひがしうえの三丁目

東西に通る広徳寺こうとくじ(現浅草通)の南側の道路沿い、下谷稲荷社の東にあった。広徳寺通の北は下谷北稲荷したやきたいなり町、東は道を挟んで下谷唯念寺したやゆいねんじ門前、南は武家屋敷。万治元年(一六五八)浅草新寺あさくさしんでら町の道・橋・下水などを普請したとき精勤した元御大工頭支配大工棟梁の善次郎と伝十郎が、同二年広徳寺前の水溜地を拝領、寛文四年(一六六四)まで七年がかりで築地町屋とした。隣町は稲荷町と通称され、当町の南横町藁店わらだなと唱えていた。町の規模は田舎間で東西五一間・南北裏行一〇間、反別一反七畝余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

〘 名詞 〙 春の季節がもうすぐそこまで来ていること。《 季語・冬 》 〔俳諧・俳諧四季部類(1780)〕[初出の実例]「盆栽の橙黄なり春隣〈守水老〉」(出典:春夏秋冬‐冬(1903)〈河東碧梧桐・高...

春隣の用語解説を読む