日本歴史地名大系 「南横町」の解説 南横町みなみよこちよう 青森県:弘前市弘前城下南横町[現在地名]弘前市南横町城の東側に位置し、和徳(わつとく)町と南柳(みなみやなぎ)町とを南北に結ぶ道筋の町並。東は萱(かや)町、西は北柳(きたやなぎ)町に接する。延宝五年(一六七七)の弘前惣御絵図(市立弘前図書館蔵)によれば、東長(ひがしなが)町七丁目と八丁目(現和徳町)の間を境に、北に東長町北横(ひがしながまちきたよこ)町(現北横町)、南に東長町南横町として町割され、三〇軒の屋敷割があって蒔絵師などが居住。貞享三年(一六八六)の弘前町役覚(「要記秘鑑」市立弘前図書館蔵)によれば、町役は北横町とともに下々役と定められ、一軒につき年間三五人の人足を負担した。 南横町みなみよこまち 福島県:会津若松市若松城下南横町[現在地名]会津若松市宮町(みやまち)横三日(よこみつか)町の南端より、東に折れて台(だいの)町に至る、長さ二町・幅四間、家数三六(新編会津風土記)。文禄元年(一五九二)蒲生氏郷の町割によってできた町で、氏郷の老母が住んでいた屋敷(やしき)町の南の横丁だから、この名がついたとも考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by