日本歴史地名大系 「下谷山伏町」の解説 下谷山伏町したややまぶしちよう 東京都:台東区旧下谷区地区下谷山伏町[現在地名]台東区北上野(きたうえの)一―二丁目下谷新坂本(したやしんさかもと)町の東方、大道の北側にある。寛文新板江戸絵図には灯明(とうみよう)寺の東方に「本田下野」と出ている。本多下野守忠平は陸奥白河藩主。同家は大和郡山藩主であった喜十郎忠烈が享保八年(一七二三)に死んだため断絶(寛政重修諸家譜)。同年一二月一八日夜、牛込山伏(うしごめやまぶし)町(現新宿区)で火事があり一帯が焼失した。その後同所の町屋敷が収公され、翌九年代地として本多喜十郎屋敷跡が与えられた。これが通称本多(ほんだ)屋敷とよばれた町の起立である。東は灯明寺と黒鍬組屋敷、西は武家屋敷、南は大道を隔てて源空寺(げんくうじ)門前・白泉(はくせん)寺、北は越中富山藩前田氏下屋敷。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by