灯明寺(読み)とうみようじ

日本歴史地名大系 「灯明寺」の解説

灯明寺
とうみようじ

[現在地名]加茂町兎並

灯明寺山の北西麓にあった日蓮宗寺院。本光山と号し、本尊十界大曼陀羅。古くは東明寺とも記した。「京都府地誌」によれば、天平七年(七三五)行基が開基創立し聖武天皇の勅願寺であったという。その後衰微したのを貞観五年(八六三)真暁が中興し真言宗に改めたが、康正二年(一四五六)忍禅が再興し天台宗改宗。寛文年中(一六六一―七三)日便が再び復興し日蓮宗に改めたという。嘉吉元年(一四四一)の「興福寺官務牒疏」に「東明寺 在相楽郡岡田賀茂、僧房五宇、真暁僧都開基」と記され、奈良興福寺の末寺であった。室町初期に再建されたと伝える本堂は、桁行五間・梁間六間、一重入母屋造・本瓦葺、国指定重要文化財。

灯明寺
とうみようじ

[現在地名]山中町栄町

寿経じゆきよう寺の東、共同浴場の南東にある。黒谷山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。寺院明細帳によると開基は富樫泰家子孫黒谷くろだに城主の塚田政昭で、創建は文明六年(一四七四)という。戦国期に一向一揆の将塚田左市郎が黒谷城に拠ったが(三州志)、当寺過去帳にみえる第三世佐市郎政好のことではないかとみられている(山中町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報