日本歴史地名大系 「下谷御切手町」の解説 下谷御切手町したやおきつてまち 東京都:台東区旧下谷区地区下谷御切手町[現在地名]台東区上野(うえの)七丁目・下谷一丁目下谷山崎(したややまざき)町二丁目の西にある。かつては沼地であった所を寛永元年(一六二四)に御切手同心が拝領したという(文政町方書上)。正保江戸絵図では大番士金田惣八郎や裏御門切手番頭久松彦右衛門の組屋敷・黒鍬頭牛窪権右衛門の組屋敷などがある。寛文新板江戸絵図には「キツテ丁」の名が出る。元禄一二年(一六九九)町屋敷になって正式に御切手町と称した。町奉行の支配となり享保九年(一七二四)から公役銀を納めた。東は下谷山崎町二丁目と坂本(さかもと)村耕地、西は屏風坂下下谷車坂(びようぶざかしたしたやくるまざか)町・養玉(ようぎよく)院・下谷坂本(したやさかもと)町一丁目、南は下谷御具足(したやおぐそく)町、北は法清(ほうせい)寺と坂本村(文政町方書上)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by