日本歴史地名大系 「下谷長者町一丁目」の解説 下谷長者町一丁目したやちようじやまちいつちようめ 東京都:台東区旧下谷区地区下谷長者町一丁目[現在地名]台東区上野(うえの)三丁目御徒組屋敷(仲御徒町一丁目)の道を隔てた西にあり、西は上野南大門(うえのみなみだいもん)町および通りを隔てて豊前小倉藩小笠原氏中屋敷(現千代田区)、南は松下(まつした)町二丁目北側代地(現同上)。町名はかつて当地に下谷長者とよばれた者が住んでいたことに由来するとされ、浄土宗永昌(えいしよう)寺は天正年間(一五七三―九二)に長者が開基したと伝え、近辺一帯は長者の屋敷内であったという(文政町方書上)。山崎美成は古代の豊島駅長の屋敷跡であろうと推定しているが(下谷通志)、下谷長者は朝日長者永昌という説もある(御府内備考)。町の起立年は不明。正保江戸絵図では御徒組屋敷で、延宝年間(一六七三―八一)も御徒組大縄地であったが(沿革図書)、元禄一一年(一六九八)の勅額火事の後、能役者金春惣右衛門ら一一名の拝領屋敷と浅草御蔵書替手代の大縄地になった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by