江戸時代,幕府や諸藩の需要を賄う出入りの商人,職人のことで,御用聞,御賄などとも呼ばれた。幕府の金座,銀座の座人や,金銀為替組,呉服所,菓子所,廻船御用達,あるいは諸藩の掛屋,蔵元などは御用達の代表といえよう。旗本・御家人の俸禄米の換金化や,彼らに金貸しを行っていた札差商人も御用達の一種である。このほか御用達には,将軍や旗本,あるいは大名やその家臣らの日常必需品や奢侈(しやし)品などを調製するため出入りした特定の畳師,指物師,塗師,絵師,鍛冶師,具足師などの職人がいた。御用達の多くは苗字帯刀を許され,扶持米を給されるなど身分的に厚遇された。営業面でもさまざまな特権が与えられたので,その特権を利用して巨富を積む者もいた。また幕府・諸藩は財政が困窮化するに伴い,しばしば彼らに御用金を課すなど財政的に依存することが多くなり,御用達のなかには幕府や諸藩の財政政策に深く関与する者も現れた。大名貸で活躍した大坂の鴻池善右衛門と江戸の三谷三九郎は,東西を代表する御用達と称された。寛政改革の際,江戸の豪商10名が幕府の勘定所御用達に登用されたが,彼らの財力と商業的手腕は以後の幕府経済政策に重要な役割を果たした。御用達は,領主権力と結んで共存共生の関係にあったため,幕藩体制の崩壊とともにその多くは没落した。
執筆者:竹内 誠
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…会津藩でも天明・寛政(1781‐1801)の改革は三谷だけの資金調達で実施されており,1800年(寛政12)には藩の三谷からの借金は10万8000両に及んだという。江戸での三谷は寛政改革のさいの勘定所御用達となり,三貨の調節や公金の貸付けなどに従事した。明治維新期には商法会所の元締頭取となって太政官札の貸付け,流通に力を尽くした。…
※「御用達」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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