下豊原村(読み)しもぶいわらむら

日本歴史地名大系 「下豊原村」の解説

下豊原村
しもぶいわらむら

[現在地名]八代豊原下ぶいわらしも

豊原村の南に隣接し、東は奈良木ならぎ村、西は本野ほんの村に接する。「八代日記」天文二二年(一五五三)七月六日条に、相良頼興が当地の松原まつばらに来遊し、はね網を引いた記事がみえる。同日記翌二三年一〇月一一日条には、相良氏を頼って八代にいた菊池義武が当地の天福てんふく(現廃寺)宿舎とした記事が記されている。同寺は「国誌」によると天台の教刹であったが、小西行長により焼失されたという。肥後豊後検地諸帳目録(県立図書館蔵)の寛永一二年(一六三五)地撫帳の項に村名がみえる。高田手永に属し、「国誌」は小村として常・高木・稲重・柴原・出口・堀切松原・長光・末森・鬼塚(大塚)・出目・時常・藤八などをあげ、「此辺ノ蜜柑味至テ美シ又多葉粉多シ」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 熊本藩年表稿

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む