日本の城がわかる事典 「下赤坂城」の解説 しもあかさかじょう【下赤坂城】 大阪府河内郡千早赤阪村にあった平山城(ひらやまじろ)。鎌倉時代末期に楠木正成(くすのきまさしげ)が築城した城の一つ。国指定史跡。金剛山地から北方向へ延びる尾根上に位置し、1331年(元徳3、元弘1)、後醍醐天皇に呼応して鎌倉幕府打倒の兵を挙げた楠木正成が築いた。下赤坂城は同年9月に正成が挙兵したときの本拠であったが、急いで築城したため幕府軍の攻撃に耐えきれず、10月に城は落ちた。正成は金剛山に潜伏し、翌1332年(元弘2、正慶1)4月に下赤坂城を奪回したが、幕府軍に包囲されて再び落城した。正成は上赤坂城、千早城に退き、抗戦を続けた。千早城での攻防戦の間に幕府は滅亡した。楠木正成が湊川の合戦で討ち死にした後は、楠木正儀がこの城に拠ったが、1360年(延文5、正平15)に北朝方に攻められ城を捨てた。現在、千早赤阪中学校裏の丘陵の一角に本丸跡の石碑が建っているだけで、城の遺構は残っていない。石碑の西側には「日本の棚田百選」に選ばれた下赤坂の棚田が広がっている。南海高野線河内長野駅または近鉄長野線富田林駅からバス、千早赤阪中学校前下車。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報