下野城跡(読み)しものじようあと

日本歴史地名大系 「下野城跡」の解説

下野城跡
しものじようあと

[現在地名]四日市市山城町 源治山

下野山しものやま城ともいう。朝明あさけ川南岸標高五〇メートルの源治げんじ山にある。城跡は三岐鉄道により東西に分断されているが、土塁・堀、郭の一部が残る。「三国地志」は江見名氏、「五鈴遺響」は見永藤七郎秀宗の居城とする。宝永八年(一七一一)の山城村指出帳(徳川林政史蔵)には「城主海老名藤左衛門と申候」とある。海老名氏は「太平記」巻三一・同三五に四郎左衛門・信濃守が出、足利尊氏・義証に従う。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む