日本歴史地名大系 「下野郷村」の解説 下野郷村しものごうむら 宮城県:岩沼市下野郷村[現在地名]岩沼市下野郷押分(おしわけ)村の北、東は太平洋に面する海岸平野にあり、村の中心下野郷、長塚(ながつか)、矢(や)ノ目(め)の各集落は旧阿武隈川の自然堤防上、相の釜(あいのかま)、藤曾根(ふじそね)は海岸砂丘上にある。志賀沢(しがさわ)川と五間(ごけん)堀が下野郷で合流し、赤井江(あかいこう)、木曳堀(貞山堀)にそそぐ。海沿いに浜海道が南北に走る。地名の由来はこの地方の開拓の根拠地となった本郷(ほんごう)村(現名取市)の東、志賀沢川下流に位置するためといわれる。正保郷帳では田二六貫三六文・畑二一貫五四四文、旱損と注され、ほかに新田七六貫九五九文とある。寛文元年(一六六一)には名取郡の「二倉村下郷村」と沖野(おきの)村(現仙台市)の三ヵ村のうちに開墾された四貫八三七文の地が泉田吉衛門の知行地となっている(「宛行状」吉田育造家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by