日本歴史地名大系 「岩沼市」の解説 岩沼市いわぬまし 面積:五九・三一平方キロ東は太平洋に面し、南は阿武隈川で亘理(わたり)郡亘理町に接する。西は高館(たかだて)丘陵とその南端の千貫(せんがん)丘陵などで柴田郡柴田町・村田(むらた)町と、北は名取市に接する。北流して白石(しろいし)川を合した阿武隈川は大きく蛇行して海に入り、そのため市域は西部の丘陵地帯と、東部の阿武隈川により形成された沖積地からなる。南西から北東へ五間(ごけん)堀が流れ、北西から東流する志賀沢(しがさわ)川と合流して東端海近くの赤井江(あかいこう)に入る。海沿いを南北に貞山(ていざん)堀が通る。亘理町とを結ぶ国道六号(江戸浜街道)が、柴田町とを結ぶ国道四号(奥州街道)に市中央で合流する。名取平野、亘理平野、白石川沿岸盆地、角田(かくだ)盆地の接合点にあたる。市域は旧奥州街道に沿う中心市街地、東部海岸平野の玉浦(たまうら)地区、西部山岳丘陵の千貫地区の三地区に分れている。近世の岩沼郷はかつて武隈(たけくま)といったといい、岩沼の呼称は天正(一五七三―九二)末年になってあらわれる。〔原始・古代〕遺跡は西部寄りの丘陵・丘陵麓、阿武隈川の浜堤、志賀沢川の流域に多い。貝塚は名取市境の山畑南(やまはたみなみ)貝塚(柚木貝塚)や北長谷(きたはせ)の畑堤上(はたていじよう)貝塚がある。縄文・弥生時代の遺跡は、おもに西部千貫地区の山裾に集中し、弥生遺跡は長岡(ながおか)丘陵とその東の朝日(あさひ)丘陵に点在する。古墳は当市域に多く、沖積地の砂堆に造営されているものもある。前方後円墳として下沼東(しもぬまひがし)のかめ塚(かめづか)古墳、長岡の新明塚(しんめいづか)古墳、朝日の白山(はくさん)古墳群、南長谷の東平王塚(とうへいおうづか)古墳、円墳では長岡の長塚(ちようづか)古墳、朝日の朝日古墳などが知られる。後期古墳として、凝灰岩の丘陵斜面を掘込んでつくったエゾ穴とよばれる横穴群が数多く発見され、金銅製頭椎大刀の柄頭が出土した二木(ふたき)二丁目の二木横穴群、北長谷の長谷寺(ちようこくじ)横穴群、土(と)ヶ崎(さき)の土ヶ崎横穴群、引込(ひつこみ)の引込横穴群などがある。多賀城の前身と考えられている「鎮所」「陸奥鎮所」については諸説があり、古くは武隈、現在の岩沼駅西方にあったとする説もあった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩沼市」の意味・わかりやすい解説 岩沼〔市〕いわぬま 宮城県南部,阿武隈川下流北岸にある市。東は太平洋に臨む。1955年岩沼町と千貫村,玉浦村の 2村が合体し,1971年市制。中心市街地の岩沼は,古くは奥州街道(国道4号線)と陸前浜街道(国道6号線)の合流点にある宿場町,名取平野の中心をなす商業町であった。JR東北本線と常磐線の合流点にあたる交通の要地。東部の海岸近くの名取市との境界に仙台空港があり,仙台市の衛星都市の一つとして発達。竹駒神社(稲荷)は伏見,豊川,笠間,祐徳とともに全国に知られ,元朝詣(がんちょうもうで)と初午祭でにぎわう。2011年,東北地方太平洋沖地震に伴う津波により大きな被害を受けた。面積 60.45km2。人口 4万4068(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by