日本歴史地名大系 「下阿内村」の解説 下阿内村しもあうちむら 群馬県:前橋市下阿内村[現在地名]前橋市下阿内町群馬郡の南端にあり、西は新堀(にいぼり)村、南の利根川対岸は板井(いたい)村・斎田(さいだ)村(現佐波郡玉村町)、東の端気(はけ)川対岸は力丸(りきまる)村、那波(なは)郡樋越(ひごし)村・上福島(かみふくじま)村(現玉村町)、北は善光寺(ぜんこうじ)村・今宿(いまじゆく)村。元亀二年(一五七一)三月二日の某朱印状(永井文書)で「五拾八貫文下阿内」が長井左京亮に宛行われている。古くは新堀村と一村で、寛文八年(一六六八)分村したという(郡村誌)。元禄二年(一六八九)の検地帳(前橋市役所蔵)では田一九町六反余・畑一六町八反余。元禄郷帳に高四四九石八斗余とある。天明三年(一七八三)浅間山の噴火による被害は大きく、熱泥流により下阿内村は「大泥入」となり(浅間嶽焼荒記)、長さ三〇〇間・幅五間・深さ一丈ほどの用水堀が焼石泥により埋まってしまった(「松平藩日記」同年九月二五日条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by