下高根沢村(読み)しもたかねざわむら

日本歴史地名大系 「下高根沢村」の解説

下高根沢村
しもたかねざわむら

[現在地名]芳賀町下高根沢

東水沼村の北に位置し、東部を野元(のもと)川が南流する。北西部より谷津(やつ)川が流れ、同川に合流する。東は上延生(かみのぶ)村、北は上高根沢村(現塩谷郡高根沢町)。享徳元年(一四五二)一〇月四日の法印宗俊廻状(小野寺文書)に「高根沢」とみえ、同月二八日に鎌倉鶴岡八満宮で行われる関破却の衆会に参集するよう当地などへの回文を命じている。「那須記」に下高根沢城主として高根沢平八の名がみえる。元和六年(一六二〇)紀伊高野山へ参詣する領内の者について書送った那須資重書状(那須譜見聞録)に高根沢村とあり、那須藩領であったと思われる。慶安郷帳では下高根沢村とみえ、高八六四石余・畑一九九石余(ただし都合高は一千六八石余)、幕府領。同郷帳では北西部の大塚(おおつか)が独立村扱いで高付され、田三八七石余・畑八〇石余(ただし都合高は三六八石余)、幕府領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む