与能村(読み)よのうむら

日本歴史地名大系 「与能村」の解説

与能村
よのうむら

[現在地名]芳賀町与能

五行ごぎよう川を境に下延生しものぶ村の西に位置し、南は東高橋ひがしたかはし村。享徳元年(一四五二)一〇月四日の法印宗俊廻状(小野寺文書)に「与能」とみえ、同月二八日に鎌倉鶴岡八幡宮で行われる関破却の衆会に、年行事のほか富士・二所・熊野先達さらに山伏なども参集するよう命じている。慶安郷帳に村名がみえ、田一千四三四石余・畑二二一石余(ただし都合高は一千六六一石余)、宇都宮藩領。元禄六年(一六九三)以前と推定される同藩領知村々書上(佐藤正重文書)に高一千七五二石余とある。元禄郷帳では高一千八三〇石余で同藩領。正徳二年(一七一二)の年貢割付状(阿久津ミツエ文書)では幕府領

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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