世田谷郷(読み)せたがやごう

日本歴史地名大系 「世田谷郷」の解説

世田谷郷
せたがやごう

現世田谷区東部、世田谷・豪徳寺ごうとくじ弦巻つるまきなどを中心に深沢ふかさわ等々力とどろき尾山台おやまだいなどから廻沢めぐりさわなども含む地域に比定される。永和二年(一三七六)正月二九日の吉良治家寄進状(鶴岡八幡宮文書)によれば、鎌倉公方の家臣である吉良治家から「武蔵国世田谷郷内上絃巻半分」が鎌倉鶴岡八幡宮に寄進されている。だがこの寄進状には問題がある。吉良氏は三河国吉良きら(現愛知県吉良町)に勢力を伸ばした豪族で、足利氏一門として室町時代には大きな勢力をもっていた。奥州吉良氏の吉良義継の曾孫貞家の次男が治家にあたる。治家は世田谷吉良氏の祖とされ、鎌倉公方足利基氏から世田谷郷を宛行われて入部したと伝える。現豪徳寺二丁目から世田谷城址公園にかけて所在する世田谷城跡は中世吉良氏の城跡で、室町時代初期の吉良成高の頃に築城されたと推定されている。長享元年(一四八七)に江戸城の上杉定正の下から美濃国に向かう万里集九は吉良成高の家臣広瀬政盈から更幽斎の画讃を求められ、吉良成高からも扇面画への讃を求められている。当時京都南禅寺の僧亀年顕兆が「世田谷ト云」とされる「吉良之第」に滞在しており左氏春秋を講義していた(梅花無尽蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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