日本歴史地名大系 「世知原村」の解説 世知原村せちばるむら 長崎県:北松浦郡世知原町世知原村[現在地名]世知原町岩谷口免(いわやぐちめん)・西の岳免(にしのたけめん)・木浦原免(きうらばるめん)・笥瀬免(やなぜめん)・栗迎免(くりむかえめん)・北川内免(きたがわちめん)・赤木場免(あかこばめん)・中通免(なかどおりめん)・槍巻免(やりまきめん)・開作免(かいさくめん)・上野原免(うえのはらめん)・矢櫃免(やびつめん)・長田代免(ながたしろめん)・太田免(おおためん)現世知原町域の中央部に位置し、佐々(さざ)川が流れる。槍巻の東八天(ひがしはつてん)岳は世知原谷を一望でき、山頂には八天狗(はつてんぐ)神社を祀る。佐世保(させぼ)方面と結ぶ冬越(ふゆごし)という峠があり、猪見岳(いのみだけ)・猪喰(いぐい)・神山(かみやま)・山口(やまぐち)・元触(もとふれ)などの地名がある。西岳免に観音木(かんのんぎ)池がある。笥瀬免の祇園社には正応四年(一二九一)三月二四日の墨書銘をもつ懸仏(県指定文化財)がある。中世末期、田平純本の四男定治が当地の百枝氏を継承し、世知原殿を称したという(壺陽録)。中通免にその居館があったとされ、北川内免の曹洞宗洞禅(とうぜん)寺は世知原氏の開基と伝える。栗迎免の山口神社は志佐氏の祈願所であったとされる。太田免の館跡は志佐氏配下の都蔵寺氏(松浦隆信の家臣松尾氏の子という)に関連するとされ、天正九年(一五八一)直谷(なおや)城(現吉井町)での合戦では有馬氏の軍勢と交戦した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by