世知原氏館跡(読み)せちばるしやかたあと

日本歴史地名大系 「世知原氏館跡」の解説

世知原氏館跡
せちばるしやかたあと

[現在地名]世知原町中通免

中世の城館の跡。室町初期の築城とされ、世知原氏の居館が想定される。応永二年(一三九五)没の世知原市正が創立した洞禅とうぜん寺は(延享二年「平戸領内諸宗本末帳」松浦史料博物館蔵)、居館に隣接していたが、のち北西の現在地に移ったという。戦国期は松浦氏の勢力下で、直谷なおや(現吉井町)城主の志佐昌(弘定の兄)は四人の男子を周辺の諸家に入嗣させるが、四男の定治は世知原氏に入れている。定治はのち佐川純昌と称し、孫の佐川主馬の代に平戸松浦隆信によって領知を改められた(壺陽録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報