並石城跡(読み)なめしじようあと

日本歴史地名大系 「並石城跡」の解説

並石城跡
なめしじようあと

[現在地名]野津原町今市

せり川に構築された芹川ダム右岸の字双石なめしにあり双石城ともいう。「大友家文書録」の天正一三年(一五八五)の綱文によると、城は直入なおいり郡にあり守将には塩手遠江守鎮定を当てたという。同一四年一一月一一日の綱文によれば、田北鎮利が島津義弘に降った後、使者を当城に派遣して塩手鎮貞(鎮定)に降るように勧めたが島津義弘はこれを許さなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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