中きや泊村(読み)なかきやとうまいむら

日本歴史地名大系 「中きや泊村」の解説

中きや泊村
なかきやとうまいむら

[現在地名]城辺友利ともり

現城辺町南部、友利とうむ村付近にあったとされるが、村の位置は特定されていない。方音ではナカキャトゥマイ。砂川うるか間切に属した。両島絵図帳に「中きや泊村」とあり、「此村当時無之」と注記され、高二〇九石余。宮古に争乱時代があったとされる頃、高腰按司の盟友に内立按司がおり、その領域を「城はら中喜屋泊村」と称した(宮古島記事仕次)城原ぐすくばり城島ぐすくすまあるいは城辺ぐすくなぎと同義で、現城辺町にほぼ相当する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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