日本歴史地名大系 「城辺町」の解説 城辺町ぐすくべちよう 沖縄県:宮古諸島城辺町面積:五七・六〇平方キロ宮古島の南東部に位置し、北は平良(ひらら)市、西は上野(うえの)村に接する。国道三九〇号のほか、主要地方道の平良―城辺線・保良(ぼら)―西里(にしざと)線、県道の根間地(ねまじ)―与那節(よなふし)線・福里(ふくざと)―保良線・友利(ともり)線・保良―上地(うえち)線などが通る。町域では先島先史時代後期の集落遺跡として浦底(うらすうく)遺跡・長間底(ながまずうく)遺跡が知られる。一三―一四世紀頃のグスク時代の集落遺跡として野(ぬ)グスク遺跡・高腰(たかうす)グスク、同じく一四―一五世紀の上比屋山(ういぴやーやま)遺跡・保良元島(ぶらむとうずま)遺跡、同じく一四―一七世紀の砂川元島(うるかむとうずま)遺跡などがあり、古琉球の一時期には宮古島の中心であったことをうかがわせている。一七世紀前半の三間切制より町域の大半は砂川(うるか)間切に属した。明治一二年(一八七九)沖縄県の管轄下となり、一八九六年宮古郡に属した。一九〇八年の沖縄県及島嶼町村制施行により城辺村が成立した。 城辺町じようへんちよう 愛媛県:南宇和郡城辺町面積:七六・一三平方キロ南宇和郡の中央部に位置し、北は観音(かんのん)岳(七八二メートル)に水源をもつ僧都(そうず)川の流域から、南は宿毛(すくも)湾に面する。同町の中心地である城辺は僧都川下流の三角州に立地し、御荘(みしよう)町平城(ひらじよう)とともに同郡南部の中心地である。同町南部を国道五六号が通り、交通はバスによる。農林漁業の町。僧都川上流では林業が活発で、南部の深浦(ふかうら)漁港はリアス海岸を利した良港で鰯・鰹の沖合漁業の基地となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by