中垪和谷村(読み)なかはがたにむら

日本歴史地名大系 「中垪和谷村」の解説

中垪和谷村
なかはがたにむら

[現在地名]旭町栃原とちばら

旭川沿いとその支流大瀬毘おおせび川の谷間よりなる細長い村で、北は西垪和村。もと中垪和村で、慶安元年(一六四八)分れて中垪和谷村・中垪和畝なかはがうね村・中垪和東分となり(作陽誌)、東分はのち中垪和上口なかはがうえのくち村と小山こやま村とになったという(久米郡誌)正保郷帳では中垪和村とあり、田方三七九石余・畑方二八六石余。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳も中垪和村で、改出高三一四石余、開高一七石余。同年の美作国郷村帳では中垪和吉村とあり、高三四七石余。「作陽誌」の戸口は八五軒・四六一人で、栃原には米蔵があり、垪和はが村の公税を納める。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む