サンスクリット名marīci。威光,陽焰と訳され,摩里支,末利支,末利支提婆,摩利支天菩薩とも称する。みずからの姿を隠し,障害を除いて利益を施す天部で,梵天の子として古代インドの民間で信仰され,後に仏教に取り入れられた。密教では護身・隠身などのための修法である摩利支天法の本尊となり,二臂(にひ)像,三目六臂像,三面八臂像などがあるが遺例は少ない。《図像抄》などに見られる,三面八臂で猪の背の三日月の上に立つ形像がよく知られている。
日本における摩利支天信仰のはじまりは明確ではないが,軍神として中世に受容されたものと思われる。特に忿怒形(ふんぬぎよう)の摩利支天が武士の守護神として信仰され,これを本尊として摩利支天法が修せられたと伝える。日蓮は〈法華経〉の信仰者を守る神として信仰し,室町時代の日親もこれを信仰した。江戸時代には,大黒天,弁才天とともに三天と称され,蓄財と福徳の神として,特に商工業者の間に信仰された。江戸では上野徳大寺と雑司ヶ谷玄浄院が摩利支天をまつることで有名になり,町人たちがおおぜい参詣してにぎわった。忿怒の姿をとる摩利支天は,猪の背に乗っていることから,亥の日を縁日としている。徳大寺には,聖徳太子作といわれる開運大摩利支天を安置している。
執筆者:関口 正之+中尾 尭
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サンスクリット語マリーチMarīciの音写語。古くは一群の風神マルトの主といい、また創造主プラジャーパティの1人。かげろう、日の光を意味することばで、その神格化でもあり、漢訳経典で陽炎、威光と訳す。昔、帝釈天(たいしゃくてん)がアスラ(阿修羅(あしゅら))と戦ったとき、日と月を守ったという。自らは陰形、つまり姿を見せないが、この神を念ずると、他人はその人を見ず、知らず、害することなく、欺くことなく、縛することなく、罰することがない、という。日本では武士の守護神とされ、護身、陰身、遠行、保財、勝利をもたらすとされた。形像は通常、三面、各三眼、八臂(はっぴ)で金剛杵(こんごうしょ)、弓箭(きゅうせん)などを持ち、猪(いのしし)に乗る姿で示されるが、天女像の場合もある。
[奈良康明]
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…日本では猪突猛進の武者が猪にたとえられるが,ヨーロッパでもイギリス王リチャード3世が猪にたとえられ,15世紀,フランスの猛将ラマルク伯ギヨームは〈アルデンヌの猪〉というあだ名をもらった。なお,ゲルマンの女神フレイヤは猪にまたがり,さらに摩利支天も猪にうちまたがるとされている。【山下 正男】
[日本民俗]
日本では通常猪と書くが,これは中国では家猪,すなわち豚を指すので,漢字を用いる場合には注意を要する。…
※「摩利支天」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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