中山忠光墓(読み)なかやまただみつのはか

国指定史跡ガイド 「中山忠光墓」の解説

なかやまただみつのはか【中山忠光墓】


山口県下関市綾羅木本町にある墓所。中山忠光幕末の尊皇攘夷派の公家で、明治天皇の叔父にあたる。孝明天皇侍従として出仕していたが、1863年(文久3)、攘夷勢力の急先鋒であった長州にくだり、下関の外艦砲撃に加わった。ついで天誅組の首領に推され、大和で挙兵したが、戦いに敗れて再び長州に逃れた。1864年(元治1)、長州藩恭順(きょうじゅん)派の刺客に、豊浦郡田耕(たすき)村(現下関市豊北町田耕)の山中で暗殺された。墓は1865年(慶応1)に建立された。花崗岩製で、高さ1.7m、「藤原忠光卿神霊」と刻してあり、3.6m四方の玉垣が囲んでいる。中山忠光を祀った中山神社境内の砂丘の上にある。1941年(昭和16)に国の史跡に指定された。JR山陰本線綾羅木(あやらぎ)駅から徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android