中島大水道(読み)なかじまだいすいどう

日本歴史地名大系 「中島大水道」の解説

中島大水道
なかじまだいすいどう

延宝六年(一六七八)北中島諸村の悪水排除のため掘削された水路。北中島は神崎川と淀川・中津川に挟まれた低地で、これら諸川が土砂の堆積で川底が上がるため古来洪水が多く、排水が悪かった。同四年北中島諸村のうちとくに排水の悪い新家(しんけ)・三番(さんば)・天王寺庄(てんのうじしよう)・橋寺(はしでら)・新庄(しんじよう)(上・下)・柴島(くにじま)・南大道(みなみだいどう)・北大道・西大道・大道新家(だいどうしんけ)・薬師堂(やくしどう)・浜(はま)・北方(きたかた)(山口)・南方(みなみかた)(現東淀川区)、川口(かわぐち)・川口新家(かわぐちしんけ)・宮原新家(みやはらしんけ)・小島(こじま)・堀(ほり)・木寺(きでら)・西(にし)・北宮原(きたみやはら)(現淀川区)の二二ヵ村の代表は摂津の幕府領を支配する京都郡代(代官)を通じて悪水排除の水道開削を請願、翌五年幕府は水道掘削費用・樋橋入用・水道敷地年貢の百姓負担を条件に許可した(「水道之古書写帳」大阪市立博物館蔵)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報