中津川(読み)ナカツガワ

デジタル大辞泉 「中津川」の意味・読み・例文・類語

なかつがわ〔なかつがは〕【中津川】

岐阜県南東部の市。木曽谷出入り口にあたり、中山道の宿場町として発展。製紙・電機工業が盛ん。平成17年(2005)2月に恵那郡北部の6町村と長野県山口村を編入。人口8.1万(2010)。→島崎藤村

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精選版 日本国語大辞典 「中津川」の意味・読み・例文・類語

なかつ‐がわ‥がは【中津川】

  1. [ 一 ] もと淀川下流の分流の一つ。大阪湾に注ぐ河口は伝法口と呼ばれた。明治二九年(一八九六)の改修工事後、新淀川となり、下流の一部は正蓮寺川として残る。長柄(ながら)川。
  2. [ 二 ] 神奈川県中央部を流れる相模川の支流。丹沢山地ヤビツ峠付近に発し、厚木市で相模川に合流。上流に渓谷美で知られる中津渓谷がある。
  3. [ 三 ] 岐阜県南東部の地名。木曾川の中流域にある。江戸時代は中山道の落合と大井の間にあった宿駅、市場町として発展。電機・製紙・木工などの工場のある商工業都市。昭和二七年(一九五二)市制。

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改訂新版 世界大百科事典 「中津川」の意味・わかりやすい解説

中津川[市] (なかつがわ)

岐阜県南東部の市。2005年2月旧中津川市が坂下(さかした),付知(つけち),福岡(ふくおか)の3町と加子母(かしも),川上(かわうえ),蛭川(ひるかわ)の3村および東に接する長野県木曾郡山口(やまぐち)村を編入して成立した。県境を越えての市町村合併の稀有な例である。人口8万0910(2010)。

中津川市北端の旧村。旧恵那(えな)郡所属。人口3411(2000)。飛驒川の支流白川上流(加子母川)に位置する山村。大部分は三国山(1611m)をはじめとする御岳山系の急峻な山地で,山間を流れる加子母川沿いに国道257号線が走り,集落が点在する。農林業のほか製材業が立地する。付知川上流一帯は国有林地帯で東濃ヒノキの優良材を産する。村域は裏木曾県立自然公園に属し,乙女渓谷付近は青少年旅行村となっている。下呂市との境の舞台峠付近にある加子母の大杉は天然記念物に指定されている。

中津川市北部の旧村。旧恵那郡所属。人口1017(2000)。木曾川の支流川上川上流域の村で,河川沿いにわずかに低地があるほかは奥三界岳(1810m)をはじめとする急峻な山地が大部分を占める。村域の大部分が山林で林産資源に富み,東濃ヒノキの産地である。村内に製材工場があり,額縁の生産も盛んである。村域の一部は裏木曾県立自然公園に属し,夕森国際マス釣場や夕森公園キャンプ場がある。

中津川市中部東寄りの旧町。旧恵那郡所属。人口5834(2000)。東は木曾川を境に長野県と接する。中央を川上川が流れ,木曾川との合流点付近の低地に集落が発達する。この町から下呂市の旧萩原町にかけて約70kmにわたって阿寺断層がのび,木曾川の河岸段丘を切断している。農林業が主産業で,米作と畜産がおもに行われる。東濃ヒノキの産地として知られ,木工業も盛ん。中央本線が通る。かつては美濃紙の製造や養蚕が盛んであった。南接する旧中津川市への通勤者も多い。明治維新期に苗木藩が徹底的な廃仏毀釈政策をとったため現在も寺はない。上野本郷に縄文草創期の椛ノ湖(はなのこ)遺跡がある。

中津川市北部の旧町。旧恵那郡所属。人口6825(2000)。木曾川の支流付知川流域の町で,町域の大部分は奥三界岳(1810m)をはじめとする山地が占める。付知川の流れは旧坂下町から続く阿寺断層に沿っており,谷に並行して走る国道257号線沿いに集落がある。付知川流域は古くから良質の東濃ヒノキの産地として知られ,製材・木工業が立地する。付知峡は裏木曾県立自然公園に属し,自然休養林がある。垂洞(たれぼら)のシダレモミは天然記念物に指定されている。
執筆者:

中津川市南部,木曾谷の入口にある旧市。1952年市制。人口5万4902(2000)。市域は美濃三河高原北東部に広がり,北部を木曾川が西流,長野県境に恵那山がある。中心地はかつて北東の落合とともに中山道の宿場町として発展した中津地区で,ほかは丘陵地間の谷地,盆地に散在する農山村である。主産業は,第2次世界大戦中の三菱電機名古屋製作所の疎開に始まる電気機械器具と金属製品の製造業である。ほかに戦前から紙・パルプの生産があり,戦後は紙製品工場も増加した。JR中央本線が通じ,中央自動車道中津川インターチェンジ,恵那山トンネルがあり,国道19号,257号,363号線が集中する交通の要地で,中央本線の複線電化や中央自動車道の開通などで名古屋への通勤も可能である。北部の苗木地区は近世には遠山氏1万石余の城下町であり,明治初年の廃藩置県で苗木県庁が置かれた。城跡に前田青邨(せいそん)記念館がある。木曾川には恵那峡があり,川上(かおれ)には恵那文楽が伝わる。
執筆者:

美濃国恵那郡の中山道宿駅。下の落合宿へ1里5町,上の大井宿へ2里半。尾張藩に付けられた木曾衆山村甚兵衛の知行地で,村高1334石。宿駅の町分と在方の中村,実戸(さねと),子野(この),上金(うわがね),北野,川上に分かれていた。宿の町並みは10町余,下町,横町,本町,新町,淀川とつづき,本町に本陣,脇本陣,問屋があった。1661年(寛文1)定人馬25人25疋と定められ,大名などの大通行のおりには,落合宿の人馬を寄せ合宿として継立てにあたった。中津川には早くから2・8の日の六斎市が開かれていた。寛政年間(1789-1801)には,穀物,塩,みそ,たまり,酒,小間物,呉服,古着,綿,紙,檜笠などが取り扱われ,苗木藩領の村々からのむしろ,紙,コウゾ,木綿などが集荷され,中津川の町分は,この地方の商業の中心となっていた。在方では,農業のほか,中村の紙すき,上金のすき櫛,川上の薪など,農間余業が行われるようになった。1801年(享和1)当時は,175戸,1227人であった。
執筆者:

中津川西部の旧村。旧恵那郡所属。人口3852(2000)。笠置山をはじめとする標高1000m前後の山々に三方を囲まれ,中央を和田川が南流し木曾川に注ぐ。山林の過半は村有林で,明治以来計画的植林が行われている。花コウ岩の採石と加工,乳牛飼育,タバコ栽培が行われる。ヒトツバタゴ自生地(天)がある。また南北朝時代,南朝方の落武者がはじめたといわれる杵振(きねふり)踊が伝わる。

中津川市中部西寄りの旧町。旧恵那郡所属。1966年町制。人口7123(2000)。木曾川支流の付知川が町の中央を南流し,川沿いを国道257号線が走る。米作を中心に野菜,果樹の栽培,酪農が営まれる。また昭和40年代後半以降は南接する旧中津川市への通勤者が増加している。北部の山地は裏木曾県立自然公園に,南部の木曾川流域は恵那峡県立自然公園に属する。下野の女夫(めおと)松は天然記念物に指定されている。
執筆者:

中津川市東部の旧村。旧長野県木曾郡所属。人口2040(2000)。木曾谷の入口に位置し,木曾川沿いに耕地が開け,国道19号線が通じる。米作,畜産,養蚕が行われ,近年は酪農や施設園芸が盛んである。南部には近世中山道の宿駅であった馬籠(まごめ)があり,往時の面影を残している。島崎藤村の出生地としても知られ,藤村記念館や島崎家の菩提寺永昌寺などがあり,訪れる観光客も多い。島崎藤村宅跡は県史跡。旧中津川市,旧坂下町と結びつきが強いため,県境を越えての合併となった。
執筆者:


中津川 (なかつがわ)

埼玉県秩父市の旧大滝村を流れる荒川上流部の一支流。長野県南佐久郡川上村との境に源を発し,旧大滝村落合で荒川に合流する。幹川流路延長28km,流域面積114km2。全流程が山間地にあり,集落は河岸のわずかな平地,段丘,緩斜面に限られるが,川沿いには落合より上流へ中津川までバスが通じ,さらに長野県とは中津川林道で結ばれている。流路中ほどの中津川~塩沢間約9kmは中津峡として知られる。その下流の十々六木(とどろき)には滝沢ダムの建設がすすめられている。中津川には北方から長さ7kmの神流(かんな)川が合流する。その川沿いの小倉沢に石灰石とケイ砂を採掘する秩父鉱山がある。
執筆者:

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日本歴史地名大系 「中津川」の解説

中津川
なかつがわ

盛岡市の東端、下閉伊しもへい岩泉いわいずみ町との境に位置する阿部館あべたて(一二一八・四メートル)西麓を水源とし、新庄しんじよう小貝沢こがいさわ銭掛ぜにかけ大葛おおくず綱取つなとりなど山間の集落を経て西流し、浅岸あさぎしの西端部で米内よない川を合流、盛岡市街の中央部を南西流して馬場ばば町の南西部で北上川に合流する一級河川。延長約二二・八キロ。慶長(一五九六―一六一五)以前のものとされる盛岡旧図(盛岡砂子)に、淡路あわじ館の東側で北上川に合流する中津川が記され、盛岡築城後は西側の北上川とともに東側の天然の要害として外堀の役割を果した。同書は盛岡城の東側郭下にある毘沙門びしやもん淵について「御城の下にあり。昔は頗る大淵にて、此所へ水激突して其深きを計り難し、御要害の一つにして、大石を以地止めとしけるか、近年大に浅くなりたり、然共今猶其深きを計るべからず」と記す。


中津川
なかつがわ

長柄ながら川ともいう。淀川の支流で、北長柄の通称三ッ頭みつがしら(現大淀区)で淀川本流と分れ、西流ののち南流、四貫島しかんじま(現此花区)に至って南伝法みなみでんぽう(下流を正蓮寺川という)・北伝法川に分れて大阪湾に注いでいた川。明治二九年(一八九六)に着手された淀川改修工事の一環として行われた新淀川開削工事により、新淀川が中津川を一部利用しながらほぼまっすぐに開削されたため廃川となった。ただし下流の正蓮寺しようれんじ川の河道は残され、現在も同名称の河川がある。「摂津名所図会大成」は中津川の項に「長柄にてハ長柄川といひ、いにしへハ下をくま川といひしとぞ、神崎川と難波津の堀江の川の中を流るゝを以て中津川といふ歟」と記し、別に長柄川の項を立て「一名中津川」とする。


中津川
なかつがわ

上流は愛甲郡清川きよかわ村内で、水源は丹沢たんざわ山・とうノ岳・大山などから湧出する塩水しおみず川・本谷ほんたに川・ぬの川・唐沢からさわ川が合流して中津川となり北流。さらに川弟かわおと川・早戸はやと川を合せ、そこから東流し半原はんばら愛川あいかわ町に入り、東南流して厚木市金田かねだの南方で相模川に合流する。水路三九キロ余。永禄一二年(一五六九)一〇月、武田・小田原北条両勢がこの川を渡って三増みませ(現愛川町)で対戦した(甲陽軍鑑)。この川では鮎漁が盛んで、近世には妻田つまだ村・金田村・三田さんだ(現厚木市)の三ヵ村で鮎二千尾、うるか五升を上納していたが、貞享五年(一六八八)永納となった(風土記稿)


中津川
なかつがわ

群馬県吾妻あがつま郡内の弁天べんてん(一六五二・六メートル)北麓の野反のぞり湖に源を発する魚野うおの川と長野県上高井かみたかい郡内志賀しが高原の西館にしだて(一七五六・五メートル)北麓に源を発する雑魚ざこ川が、秋山あきやま郷の切明きりあけ(現長野県下水内郡栄村)で合流し、秋山郷の中央を険しい渓谷をつくって北流し、大割野おおわりので信濃川に合流する川をいう。全長約三五キロ。苗場なえば山から北方へ延びる洪積世の高原の西側を流れる。


中津川
なかつがわ

荒川上流部の支流で、大滝村内を流れる。山梨県・群馬県境の十文字じゆうもんじ峠・三国みくに山・天丸てんまる山の山嶺を水源地とし、中津川集落を東流、この間、中津峡(県指定名勝)とよばれる渓谷をつくり、大滝地内落合おちあいで荒川に注ぐ。全長約二八・四キロ。「風土記稿」には「激流、羊腸ノ如ク曲折シ」とあり、塩沢しおざわ口より上流、「四五町ハカリノ間ハ一条ノ川路屈曲シ両岸ノ懸岩高サ四五十丈ハカリ、屏障ヲ立ツル如ク峙ヘシ。中ヲ通路トシ、仰望メハ実ニ井裡ニ天ヲ窺カコトク又ハ管中ニ豹文ヲミルカコトシ」と中津峡の険しさを述べている。近世の水運や漁業などを記す史料はみられない。年未詳の流木留置依頼状(逸見家文書)には「大雨のため角取置候分並ニ厘掛致置候丸太之分凡木数四千五百本谷々不残押出し流木仕候」とあり、流木が行われていたことがうかがえる。


中津川
なかつがわ

恵那山を水源とし、北西流して屏風びようぶ山・恵那山両断層を横切り、上流川上かおれ地内で前沢まえざわ川・松尾まつお川を合流し、十字形断層谷を形成し、多くの谷や沢が流れ込むため、川上の十一谷とよばれる。中津川市街地の北で四ッ目よつめ川を合流し、木曾川に流入する。延長約二〇キロ。「新撰美濃志」は「川上かほれ川は駅の西の入口にありて俗に中津川といふ」と書いているが、近世に書かれたほかの文献や文書は川上川・川上渓となっている。近世の宿場は、標高約三〇〇メートルに立地し、この地点はまえ山断層崖下の中津川扇状地の扇端部にあたり、湧水地でもある。現在の市街地は旧宿場のしん町を中心に発展し、扇央部の水田地帯は中津川から取水し灌漑した。またこの用水は宿場にも取入れられ、生活用水としても利用された。


中津川
なかつがわ

山国やまくに川が河口付近の外馬場そとばばで東へ分流し、小祝こいわい島と中津城跡の間を流れて竜王りゆうおう浜で海に入る。全長約一・五キロ。もと山国川の本流であったが、金谷かなや堤が築かれてから流路が変わり、しだいに水流がなくなったと考えられている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中津川」の意味・わかりやすい解説

中津川(市)
なかつがわ

岐阜県南東部にある商工業都市。1952年(昭和27)市制施行。1954年坂本(さかもと)村、1956年落合(おちあい)村、1957年阿木(あぎ)村、1959年長野県神坂(みさか)村を編入。2005年(平成17)坂下(さかした)、付知(つけち)、福岡の3町、川上(かわうえ)、加子母(かしも)、蛭川(ひるかわ)の3村、および長野県山口村を編入合併、市域は北に大きく広がった。東部を長野県と接し、JR中央本線、明知鉄道(あけちてつどう)、中央自動車道、国道19号、256号、257号、363号が通じる。中山道(なかせんどう)の旧宿場町を中心に、中央本線開通以来しだいに発展し、木曽(きそ)川の南岸、中津川盆地から周辺へと拡大している。木曽谷の出入口にあたり、東濃(とうのう)地方有数の商業地でもある。工業では、電機、製紙、金属製品、機械器具などの生産が行われる。近年、工業団地を造成し、先端企業の誘致が図られた。北部の山村地域は林業が発達、東濃ヒノキなどの良材を産出、また木製品加工もみられる。そのほか、米作、酪農、養鶏なども行われている。

 市の南部には恵那(えな)山を中心とする胞山(えなさん)県立自然公園、木曽川沿いには恵那峡県立自然公園があって、中京地方をはじめ全国各地から訪れる観光客が多い。苗木(なえぎ)は、江戸時代苗木藩1万石遠山氏の城下町。城跡(国指定史跡)は木曽川に臨み、眺めがよく、西麓(せいろく)に中津川市出身の日本画家前田青邨(せいそん)の記念館がある(2015年閉館)。北部は豊かな自然に恵まれ、付知峡、乙女渓谷などの景勝地や、裏木曽県立自然公園がある。そのほか、旧中山道の馬籠(まごめ)宿、渡合(どあい)温泉なども知られている。面積676.45平方キロメートル(境界は一部未定)、人口7万6570(2020)。

[上島正徳]

『『中津川市史 上・中』4冊(1968、1979、1988・中津川市)』



中津川(岩手県)
なかつがわ

岩手県盛岡市を西流して北上(きたかみ)川に注ぐ川。延長22.8キロメートル。北上高地の阿部館山(あべたてやま)に発し、盛岡市街地で米内(よない)川をあわせてのち北上川に注ぐ。盛岡市の上水道に利用され、上流に県営綱取(つなとり)ダムがある。近年、サケの遡上(そじょう)がみられる。右岸に盛岡城跡があり、中津川は城の外堀の役割をもった。藩主南部利直(なんぶとしなお)により中津川にもっとも早く架設された上の橋(かみのはし)の擬宝珠(ぎぼし)(国の重要美術品)の一つには「慶長(けいちょう)十四己酉年十月吉日、中津川上之橋源朝臣(あそん)利直」という刻銘がある。

[川本忠平]



中津川(神奈川県)
なかつがわ

神奈川県の中央部を流れる相模川(さがみがわ)の支流。丹沢山地(たんざわさんち)主峰群(塔ヶ岳(とうがたけ)、丹沢山など)の北東斜面に源を発し、宮ヶ瀬湖(宮ヶ瀬ダムによるダム湖)で早戸川をあわせ、厚木市街地の北部で相模川へ流入する。延長33キロメートル、流域面積103平方キロメートル。上流の山地のうち、低山部はスギ、ヒノキなどの植林(常緑針葉樹林)、中山部はおもにコナラ、クリ林(常緑広葉樹林)で覆われ、鳥類やチョウ類が多く、四季折々の変化がおもしろい。上流の早戸川の谷も渓谷美に優れる。愛川町半原(はんばら)地区には青少年施設が設けられている。これら中津川本・支流の水源地区から丹沢山地主峰群への登山路も開かれている。宮ヶ瀬ダムは、首都圏の水対策のため、中津川上流に建設されていたもので、2000年(平成12)完成した。

[浅香幸雄]


中津川(新潟県)
なかつがわ

新潟県南東部を北流する信濃川(しなのがわ)の支流。群馬県吾妻(あがつま)郡の野反湖(のぞりこ)に源を発し、新潟県中魚沼(なかうおぬま)郡津南(つなん)町大割野(おおわりの)で本流に合流する延長42.7キロメートルの中河川。津南高位段丘面を深い峡谷をうがって流れ、中流の逆巻(さかさまき)温泉から大赤沢(おおあかざわ)までの8キロメートルを中津川峡谷とよび、落人(おちゅうど)伝説で有名な秋山郷(あきやまごう)の仙境はその上流にある。高い段丘比高を利用した発電所が多い。両岸の高位段丘面は、1968年(昭和43)から国営苗場(なえば)山麓(ろく)総合開発事業によって、高冷地開拓農地や観光地として目覚ましい発展を遂げている。

[山崎久雄]

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百科事典マイペディア 「中津川」の意味・わかりやすい解説

中津川[市]【なかつがわ】

岐阜県南東端,木曾川中流部にある市。1952年市制。中心の中津川は木曾川南岸にあり,中山道の宿場町として発達。中央本線,中央自動車道が通じる。電気機器工業が市の製造品出荷額の約45%(2001)を占め,製紙・プラスチック製品工業も行われる。山林,山地が多く製材,木工業が盛ん。木曾川北岸の苗木地区は江戸時代の城下町であった。苗木石を特産。恵那山恵那峡がある。2005年2月恵那郡坂下町,付知町,福岡町,蛭川村,川上村,加子母村,長野県木曾郡山口村を編入。676.45km2。8万910人(2010)。
→関連項目根ノ上高原

中津川【なかつがわ】

相模川の支流。長さ33km。神奈川県中部,丹沢山地のヤビツ峠付近に発して北流し,落合で東に転じて紅葉の名所中津渓谷をつくる。江戸時代にはアユ漁が盛んであった。愛川町から下流は河岸段丘が発達。上流域は丹沢大山国定公園の東部をなし,宮ヶ瀬ダムがある。
→関連項目愛川[町]相模川

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中津川」の意味・わかりやすい解説

中津川
なかつがわ

神奈川県の中部を流れる川。相模川の支流。全長 33km。上流は丹沢山地南東部のヤビツ峠付近に発する布川で,北流して蛭ヶ岳に発する早戸川を合せる。愛川町からは南東流して山地を出,厚木市の市街地北方で相模川に合流する。上流域は丹沢山地の主峰群で,ニホンカモシカの生息地がある。早戸川との合流点付近には中津渓谷があり景勝地として知られていたが 1996年宮ヶ瀬ダムの建設により大部分が水没した。

中津川
なかつがわ

群馬県北西部に発し北流する信濃川の支流。全長約 43km。上流域は長野県に属する秋山 (温泉) 郷の山村で,新潟県津南町で信濃川に合流する。水源の野反湖ダムをはじめ,水力発電によく利用され,農業用水としても利用される。

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事典・日本の観光資源 「中津川」の解説

中津川

(岐阜県中津川市)
中山道六十九次」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の中津川の言及

【相模川】より

…上流は桂川といい,その水源は山中湖と,その北岸の山梨県忍野(おしの)村の山中にある。桂川が神奈川県に入って相模川となり,山梨県の道志(どうし)山地から流出する道志川を津久井(つくい)湖で,丹沢山地から流出する中津川を厚木市街地で合わせ,平塚市の東辺で湘南砂丘を切って相模湾に入る。相模国の南北を通じる水路として,古くから舟運に利用され,上流部に川尻(城山町),中流部に厚木,河口部に須賀(平塚市)などの河港があった。…

【山国川】より

…大分・福岡県境の英彦(ひこ)山に発して南東流し,山国町守実で北東に流れを転じる。以後,津民(つたみ)川,山移(やまうつり)川,跡田川などの支流を集め,河口近くで右岸に中津川を分流し,周防灘に注ぐ。幹川流路延長56km,全流域面積540km2。…

※「中津川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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