20世紀日本人名事典 「中川四明」の解説 中川 四明ナカガワ シメイ 明治・大正期の俳人,編集者 生年嘉永3年2月2日(1850年) 没年大正6(1917)年5月16日 出生地京都 本名中川 登代蔵 別名筆名=中川 霞城,諱=重麗,別号=紫明 学歴〔年〕京都中学卒 経歴長年の教員生活後、明治20年より日本新聞社、京都中外電報社に勤める。32年より大阪朝日新聞社に勤務。かたわら巌谷小波らと俳句をはじめ、37年「懸葵」を創刊。句集「四明句集」の他、著書に「平言俗語 俳諧美学」「形以神韵 触背美学」などがある。また中川霞城の筆名で児童文学編集者としても活躍した。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中川四明」の解説 中川四明 なかがわ-しめい 1849-1917 明治-大正時代の俳人。嘉永(かえい)2年2月2日生まれ。京都中学にまなぶ。教員ののち,大阪朝日新聞社などにつとめる。水落露石らと京阪満月会をおこし,日本派の基礎をかためた。明治37年俳誌「懸葵(かけあおい)」を創刊。大正6年5月16日死去。69歳。京都出身。本名は登代蔵。別号に紫明,霞城。句集に「四明句集」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by