中村喜一郎(読み)なかむら・きいちろう

朝日日本歴史人物事典 「中村喜一郎」の解説

中村喜一郎

生年生没年不詳
明治時代の染織家。明治6(1873)年オーストリア,ウィーン万国博覧会に新政府によって初めて外国の展覧会に日本の工芸品が出品されることになり,ウィーン万国博覧会副総裁佐野常民に随行した。現地で伝習生に選抜され,織匠の伊達弥助らとオーストリアをはじめドイツ,イタリア,スイス,フランス,イギリスなどを回り,2年間の研修を終えて8年,染織品の見本染料,薬品,器材などを携えて帰国した。次いで農商務省技師となり,京都舎密局染殿に入って化学染料による染色の指導に当たり,14年染殿が染織部に合併され,20年にこれが京都織物会社に払い下げられるとともに八王子織物染色講習所の教授となり,28年には八王子織染学校の校長となった。化学染色に関する著書も多く明治前期の西欧染色の導入普及に大きな功績を残した。

(山邊知行)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村喜一郎」の解説

中村喜一郎 なかむら-きいちろう

1850-1915 明治時代の染色技術者。
嘉永(かえい)3年生まれ。明治6年ウィーン万国博覧会に参加するため,私費でドイツに留学。現地で伝習生にえらばれ,染色法を研究して7年帰国。農商務省技師,京都府舎密局(セイミきょく)染殿(そめどの)教授となり,28年八王子織染学校長。大正4年5月11日死去。66歳。肥前佐賀出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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