中村孝太郎(読み)ナカムラ コウタロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「中村孝太郎」の解説

中村 孝太郎
ナカムラ コウタロウ


肩書
陸相

生年月日
明治14年8月28日

出生地
石川県

学歴
陸士〔明治34年〕卒 陸大〔明治42年〕卒

経歴
明治35年少尉、歩兵第36連隊大隊副官で日露戦争従軍。第1次大戦に第1師団第5兵站司令部参謀で出征。大正8年中佐、9年スウェーデン公使館付武官。12年陸軍省副官、昭和4年朝鮮軍参謀長、7年支那駐屯軍司令官、同年中将となり第8師団長、10年教育総監部本部長。12年林銑十郎内閣陸軍大臣となったが病気のため退任軍事参議官、13年大将。のち朝鮮軍司令官、東部軍司令官を経て18年予備役。

没年月日
昭和22年8月29日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「中村孝太郎」の解説

中村 孝太郎
ナカムラ コウタロウ

明治〜昭和期の陸軍大将 陸相。



生年
明治14(1881)年8月28日

没年
昭和22(1947)年8月29日

出生地
石川県

学歴〔年〕
陸士〔明治34年〕卒,陸大〔明治42年〕卒

経歴
明治35年少尉、歩兵第36連隊大隊副官で日露戦争に従軍。第1次大戦に第1師団第5兵站司令部参謀で出征。大正8年中佐、9年スウェーデン公使館付武官。12年陸軍省副官、昭和4年朝鮮軍参謀長、7年支那駐屯軍司令官、同年中将となり第8師団長、10年教育総監部本部長。12年林銑十郎内閣の陸軍大臣となったが病気のため退任、軍事参議官、13年大将。のち朝鮮軍司令官、東部軍司令官を経て18年予備役。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村孝太郎」の解説

中村孝太郎 なかむら-こうたろう

1881-1947 明治-昭和時代前期の軍人
明治14年8月28日生まれ。朝鮮軍参謀長,支那駐屯軍司令官,第八師団長,教育総監部本部長を歴任。昭和12年林内閣の陸相となるが,腸チフスのため1週間で退任。13年大将,朝鮮軍司令官となった。昭和22年8月29日死去。67歳。石川県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「中村孝太郎」の解説

中村 孝太郎 (なかむら こうたろう)

生年月日:1881年8月28日
明治時代-昭和時代の陸軍軍人。大将
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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