中洲村(読み)なかずむら

日本歴史地名大系 「中洲村」の解説

中洲村
なかずむら

[現在地名]佐原市中洲

丸江まるえ湖を挟んで長島ながしま村の東に位置する。東には与田よだ浦が広がる。中須とも記され、源右衛門げんえもん須とも称された。しん島に形成された十六島じゆうろくしま新田の一つ。寛永八年(一六三一)長島村津宮つのみや村の田地に近い「前洲、中須、後須」の三つの中洲に境杭を立てて開いたもので、津宮村はこの開発に反対し幕府へ訴える訴訟となったが、佐原村などが立会い、同一二年にまえ須・うしろ須を津宮村に引渡すことなどを決めて争論は決着している(正徳四年「根郷五箇村谷地御定納記」伊能家文書)。寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図では、利根川と横利根川および同川から与田浦へ続く河川に囲まれた島状砂洲の東部に「中須嶋」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報