津宮村(読み)つのみやむら

日本歴史地名大系 「津宮村」の解説

津宮村
つのみやむら

[現在地名]佐原市津宮

東流する利根川の右岸に位置し、津宮河岸がある。西は篠原しのわら村、南は香取村対岸新田が広がる。利根川右岸を銚子道が走る。津之宮などとも記す。かつては北に香取海があり、寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図では当村北東に香取海が広がっている。この海の用益をめぐって元和期(一六一五―二四)以前から佐原村篠原村とともに郷三ヵ村と称して連携を保ち、新田の開発を展開していたと伝える。また網代場と称する漁労権も保持していた。

〔中世〕

香取神宮の東に広がる谷津の香取海への出口部分にあたり、発達した砂洲上に立地した香取社領。弘安二年(一二七九)一〇月一四日の分飯司職年中行事勤役注文写(香取文書、以下中世の記述では断りのない限り同文書)に「津宮の大橋」とみえ、一一月六日の瞻男まもりお社の神事に際して、印手(押手)社の押手(璽)を持った分飯司は当地の大橋を馬に乗ったまま通過している。正安二年(一三〇〇)に「津宮」などは神主(大宮司)が進退する別相伝の地であるが、香取社大禰宜家の大中臣実秀は、同実康が神主職にことよせて当地などの散在司名の田畠・租穀・検田米以下を押領したと訴えて認められてしまったため、実康はこれを訴え、実秀の押領が停止されている(同年六月日摂政二条兼基家政所下文案写)。このような大禰宜家大中臣氏の内紛を収めるため、嘉元二年(一三〇四)実康・実秀・実胤・実幹の四人が葛原くずはら牧の小野おの織幡おりはた・津宮を含む一四ヵ村の所務を四等分することで和解している(同年四月二二日大宮司大中臣実秀等連署和与状)。元応二年(一三二〇)当時、香取社宮堀役四丈を津宮の検非違使が、三丈を津宮の弥三郎入道、三丈を津宮の権守入道が負担している(同年四月二七日宮堀分配目録写)。正慶二年(一三三三)に行われた検注によれば、津宮には司(大宮司分)金丸かねまる(大禰宜分)・良(国行事分)・御名(千葉氏分)などの名からなる一三町八反余の香取社領の麦畠があった(同年四月一六日香取大領麦畠検注取帳)

延文三年(一三五八)五月一日の香取九ヵ村注文に「津宮内ほつ川」とみえ、「ほつ川」は地内の字堀川のことと思われる。応安七年(一三七四)大禰宜大中臣長房は津宮津など下総や常陸の諸浦の海夫に対する千葉介満胤らとその庶子らによる押領を訴え、鎌倉府は満胤および一族庶子の地頭らの知行分にかかわる押領を止めるよう命じている(同年九月二七日鎌倉府奉行人連署奉書写など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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