中湯野村(読み)なかゆのむら

日本歴史地名大系 「中湯野村」の解説

中湯野村
なかゆのむら

[現在地名]仁多町亀嵩(かめだけ)

西湯野村の東、亀嵩川上流域に位置する。南西に亀嵩町がある。正保国絵図に中湯野村とみえ、ほかに同村の内として亀嵩村がみえる。慶安三年(一六五〇)の亀嵩内中湯野村検地帳によると田高二九三石余・反別二四町七反余、畑高四〇石余・反別六町七反余、ほかに山畑二町二反余がある。屋敷数二三(うち引方一三)。元禄十年出雲国郷帳では高四四〇石余、寛文四年(一六六四)の本田高四二六石余・新田高八石余。「雲陽大数録」では高五二〇石。明治八年(一八七五)亀嵩町を除く当村は西湯野村など三村と合併し亀嵩村となる。湯野神社は「出雲国風土記」に載る仁多郡湯野(ゆぬ)社とされる。臨済宗妙心寺派覚融(かくゆう)寺は天文二二年(一五五三)三沢氏一三代信濃守為清によって三沢(みざわ)郷内に新たに建立され、寺領として一〇貫四〇〇文の地を寄進された(同年八月二四日「三沢為清寄進状」覚融寺文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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